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富弘美術館2 2005.04

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率直に感じたのはおもしろかった、楽しかったということです。興奮したというか、ハシャいでしまったというか、ずっとニヤけていた気がします。いろんな意味でいろんなモノがあって、新しい空間体験ができて、同じ建築をやっている者としては、いいなあヨコミゾさん、ってかんじです。で「いやあ見た見た、帰ろ」って出ようと思ったらなんと富弘さん自身の作品見るの忘れてて慌てて戻りました。建築見に行ったからってのはあるけど、それにしても富弘さんの作品と美術館との関係を全く無視して見ていたのですね。いや全くハシャぎ過ぎでおはずかしい。正直今回美術館に行くときに星野富弘という人の知識はあまりありませんでした。ここへやってくる人は富弘さんの作品を見に来るわけですよね。そういう意味でまずぼくが既に一般の人(建築専門の人ではないという意味)の立場になり得ていないことにも問題はあるのですが。
さて一般の人はこの美術館をどんな風に感じるのでしょうか。
分かりづらい?方向感覚がおかしくなる?落ち着かない?無駄が多い?品がない?周囲になじんでない?・・・・・ん~いろいろ良くないところはあるなあ。
特にこの美術館は企画展示ではなく常設展示なのでより富弘さんに特化してつくられるべきだし、すばらしいロケーションにあるのだから周辺環境との関係性を特に意識してつくられるべきだと思います。
・・・・・と習いました、学校で。歴史もそう言ってます。つまりそれが模範解答です。
でも、そういう模範解答は得てしてつまらなくなりがちで、そういう模範解答を疑い、打破することで建築を進化させようと夢見るわけで、現にこの案は夢見る公開コンペで選出されています。そういう意味でぼくはまずこの建築ができたことを評価し、「おもしろい」ことを評価していいと思います。そしてある建築の「強さ」を持っていることがすばらしいと思います。建築自体の強さを悪ではないと思いたいです。
この建築が富弘さんの美術館でなくてもいいということはあるかも知れないけれど、ここでの空間は決してユニバーサルスペースではないです。どちらかというとある強さを持った建築が富弘さんの美術館にもなってしまった、という感じでしょうか。そこのところを富弘さん自身が評価し、喜んでいるんではないでしょうか。そして関係者や訪れる人が喜んでくれればこれほど幸せなことはないでしょう。
建築自体の強さとは別に(強さのために?)、外部との関係を積極的に断ち切る必要はなかったと思います。正方形で切断し、バックヤードでもいろんな仕上げを使っていると、どうしたって作り手の自己満足感が見えてきてしって、やっぱり一般の人が見ても気持ちのよいものではないんじゃないかなあ。やっぱり湖には開いておくわけだし。あと円が集まってできる三角形の隙間に興味があったんだけど、ほとんど関係性ってものがなくて残念でした。せっかくたくさんの外部が散らばっているわけで、足下の穴だけではさびしいです。接点以外でも円を介して円が見えたらどうだったんだろう?と単純に興味があります。
あと円を四角で切らなくても良かったんじゃない?コンペの最初からこの形だったけど、円が続いていく感じがあった方がより自由で、切断面を表現しなくてすんだのではないでしょうか。
建築自体の強さをつくるにはこうした図式的な考え方や設計のルールみたいなものが必要なのでしょうが、なんだかそういうつくり方には戸惑いがあります。いい意味でも悪い意味でもこういうのが最近のはやりなのでしょうが。一緒に見に行った建築仲間もこぞって、「楽しかった・・・・・けど」みたいな感想でした。同じ大学を出て同じ建築の教育を受けてきたので、こういうつくり方していいのかなあ、という漠然とした不安があるのです。
自分の実感したことと普段意識していることとがなかなかかみ合わないですね。いろいろ考えさせられます。までも楽しかったからヨシ。

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