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富弘美術館 2005.04

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富弘美術館に行って来ました。伊東豊雄事務所出身のヨコミゾマコトさんによる設計で先日オープンハウスがあったのです。一般公開は4月16日から始まります。群馬県のかなり北のほうでピクニックも兼ねて行ってみる価値がある建物ですよ。
群馬県の公共建築の企画などを考える部署の職員が「これからの公共建築のあり方を変えよう」と公開コンペをいくつか行ってきたうちの一つです。そのおかげで群馬県には昨今いろいろな公共建築が開かれた形で作られるようになっています。素敵なことですよね。他県でもよくコンペは行われているのですが募集要項を見てみると「過去の同規模の機能を持つ施設を○個以上設計・監理していること」と書いてあることがほとんどなのです。となると・・いつもの設計事務所がいつものようにやり、新人には全く門戸が開かれず永遠閉じたまま円弧だったりするのですが、この美術館のコンペではそういった規制がない状態でコンペが行われました。若手からベテラン、国内から海外まで実に1200以上の提案が集まったようです。
で、感想を。長いので覚悟して読んでくださいな。
まずは一番衝撃だった内部から。
正方形の中にいくつもの円を(全部で25個程度?)入れ込んでいる平面図で、構造は壁が鉄板、天井もリブ付きの蜘蛛の巣の様な鉄板であるため柱・梁という構造で空間が仕切られるような概念はありません。円と円が接している部分に出入り口があり次の円に行くことができるような感じとなっています。その接する出入り口の切り口が鉄板のため厚みが45ミリ程度しかありません。
また、円の部屋から見る次の円の部屋とは当然相似形な訳で、向こう側には同じような円弧の壁が見えます。そんな状態の空間は今まで体験したことはないのですがまるで鏡を見ているように見えるです。その出入り口から人がでてくると「鏡から人がでてくる!!」って感じに見えたり、「鏡に僕が映っている」と他人を見ておもったりする現象を感じることができました。
現象として単純にとてもおもしろいです。視覚トリックのような感じですよね。円弧はいくつも連なっているため奥の奥の部屋は鏡に写り混んでいる手前の部屋のようにも見えるのです。なんだか言葉だけの説明だと訳わからない感じですが、これは行ってみて、実感しないとなかなかわからないかと。
円がいくつも集まっているので空間が延々にずるずると連なっていくような感じや、方向感覚を失うよう感じはちょっとだけ味わえました。全部で52メーター角なので、わりと少し歩いていくとすぐに外周に行き当たるわけです。始点としてのロビーが真ん中にあるから特にそうです。
また、施設自体がゾーン分けしてあり、行き止まりが割と多いので迷うほどではなかったです。特にサインを見てまわるという感じではありませんでした。(サインは牛若丸の松田さん)
円と円が接すると変な隙間ができますよね。そこは外部となっており、小さな開口がぽこぽこあいていて、内部より少しだけ中庭が垣間見れるようになっています。小さいちょっとした中庭なのですが一つの窓が直径10センチ程度で、かつ下の方ばかりに空いているので中庭はほとんど見れないし、外部から光も取り入れているほどでもありません。子供はちょっと楽しいかもしれないけど、この外部に関してはもっと関わっていけるような場所があっても良いと思いました。結果的にこの中庭と僕は関われなかったので、ある意味が内部には効果がない感じです。まあ、美術館という側面を考えるとなかなか窓は開けにくいがこの建築は全く持って外に閉じている。中庭にも閉じているし。どこに建っているかは気にしないと言う感じで。
あと、各円内部の素材は壁・床・天井すべて1部屋1部屋変化させています。ちょっと無理を感じるほどの執拗さで、単に見た目におもしろいがよく考えるとただそれだけな感もある。展示空間がそこに展示する作品に影響を与えるために作っているのか、それとも変えるというルールをひたすら守るためだけにやっているのか、どうも後者のような気がしてしまいます。素材も遊んでいる感じで特にそれでなくてはいけないというわけではなく、おもちゃ箱をひっくり返しているような感じで目新しい素材のみが選定の基準と感じました。(円という音を反射しやすい形状を防ぐための吸音材は機能的にも多用されている)
天井も間接照明が多く、わりと装飾的でした。これもきれいだったのであるがやはりフラットの方がこの構造を表現している気がする。突起物を避けるようなのっぺりとした作りが天井では無視されている気がして残念。たれ壁もできてしまいこれも痛い。
のっぺりとだらだら空間が続くと言うことに関しては、内装の変化や天井によってその良さはかなり「減」という感じがしましたね。もちろんすべてを選択できないので今回はこの円弧連続の良さを捨てたのかもしれないけど。
外部は内装のおもちゃ箱の延長で、いろいろな素材を内部の円弧にあわせて変化させています。よってストライプ状にいろいろな素材が立面に現れています。ところどころ円弧を感じさせるような部分があるのでそこはおもしろいけど中に入ってとかそういった経験の部分はなく、内部の論理を少しだけ外部に見せる「見せ方」という視覚的要素の為にやっている感がしました。
建物の配置などの立ち方も正方形という形から特に敷地に対してどんな配置でもよいし、場所はどこでも良い感じで建っている感じを受けました。周辺敷地の読み込みをしてこの形を決めたという感じも全くしない。正方形でどの面も等価に作っている感じなのですが、裏側は歩ける距離程度しか通路がなく、あくまでもこの立面は視覚的主張のみでできあがっている感じがして、建物の周りを回る人間は想定されていないでしょう。湖が近くにあってそっちの方向に開いているといってもホントちょっとだけで、基本的には素材感を変えることの方が重要みたいな感じを受けました。
駐車場の山を崩した切り崩し面にのぼって屋根を見るとこれはすごいおもしろかった。おおきな立面(ボリューム)をもつ建物ですが内部には小さな外部がかなり入り込んでいて屋根は小さな屋根の集合体となっている。横から見ると大きな建物だけど、上から見ると小さな建物の集合体と印象が違います。
詳しくはわからないが樋などなく雨は垂れ流しで、小さな中庭に垂れ流している感じだ。外壁は汚れちゃいそうだなぁー。屋根面は決して普通に見学したら見ることなどできないが、内部と外部の論理がつながっていると感じるところでした。
最後に大きく思うのはこれが何で富弘美術館なのだということです。富弘さんの作品にあった建築であるのか、この自然豊かな東町のこの場所である必然性、美術館である必然性などはなくて、空間をつくる作り方だけが提案されていて、機能的な部分や場所性などは無視されているように感じます。たしかに50年後ここはどんな使われ方をしているのか、周りの景色はどのように変化しているのかわからないので絶対的な物(基準)は存在しない。となると最後には空間が残るわけで、その空間が持つ強度を高めるには空間を作るルールを決めることなのだというのであろうか?
そのへんはやりの建築家の作り方と感じるのだが、なにか僕は物足りない。
なんでかなぁー。
「愛」?「建築の力を信じる」こととか?
ゲーム感覚ではぼくは怖いんだよなぁー。そんな気がしながら久しぶりにどきどきした建築に出会いうれしかったし、興奮して寝れない子供みたいでした。
是非行ってみてくださいな。

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