天命反転住宅 2005.03
先日車で家の近くを走っていたらびっくりするモノを見てしまいました。かなり大きな道路に面した所ですが、3メートルくらいのコンクリートのキューブや円筒が不安定に積み重なった工事現場。なにか大きな遊具のような、変な形のテトラポットのような奇妙な風景。そこで、あっと思い出しました。三鷹で計画が進行中とは聞いていましたが・・・、現代美術家・荒川修作+マドリン・ギンズの天命反転住宅!
ついにつくってしまうのですね。人の身体性を惑わすことで本当の豊かさを問いかける・・・、という岐阜の養老天命反転地でも同じようなことをやっていて、建築界に波紋を投げかけていました。あのときは一度行って仰るとおり身体性を惑わされた気もしましたが、テーマパークというとらえ方をすると一気にその意味が小さなモノに感じられて、それ以上の発展があるのかどうかは疑問でした。転んで骨折したといって責任問題なんかが問われ、肝心の身体性と建築の関係なんかの議論は収縮していったような・・・。
今度は分譲集合住宅。いったいだれが発注するのかと思いきや当の本人荒川氏が建築主なんですねえ。すごい人だなと思いつつがっかり。建築家自身が発注者になるっていうのはどうもつくるプロセスの大事な部分が抜け落ちている気がしてならないです。そりゃ建築家の自邸とかあってそこで実験住宅つくって評価されるということもあるけど、ある意味別モノという気がしてしまいます。自分が自邸つくるっていうリアリティないからでしょうか?しかも荒川氏の場合自分が住むんじゃないからなおさらたちが悪い気がします。それでも荒川氏に賛同して、売れる!というチャレンジャーがいてくれれば楽しいのですが・・・。美術家が自分で自分の作品をつくって気に入った人が買ってくれる、という・・・もはや建築ではないという切り捨てられ方をされかねないと思います。
でも今回のは結構売れてちゃうかもしれない。そしたらなんだかおもしろいですけど。
建築における身体性を見直そうという考えにはすごく興味があります。でもね・・・こんな姿形じゃなくても・・・。美しくない。床が曲面であるとか、僅かに斜めであってもいいのですが、強引ともいえる形やカラフルな外壁でとにかく目立つ大通りに面して建てるのは反感を買うだけ。せっかく人が住むという領域で勝負しようとしていて、だれもつくらないなら自分でつくるという心意気なのですから。
なにかあるんじゃないかと期待したいものです。