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作るということ 2005.06

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あらためて「作るということ」を考えるとなかなか難しい。課題があって作るのと、課題を自分で作るのではかなり違うので、卒制で迷える子羊が沢山でてしまうのはいたしかたないことだ。僕が昔そうであったように。
しかも現在は明るく(無邪気に)ものを作れない時代になってきてしまっているよね。資源が枯渇すると叫ばれる中、ゴミを作るなというように時代が要請してきている。以前は進歩こそ正義だったし、便利や快適であることは幸福とイコールで見なされていたので、ものをつくるデザイナーは歓迎され、作っていればそれで良かった。
でも、そんな時代は終わってしまった。
だから「良い」の定義自体曖昧だ。だから「良いもの」を自分で再定義していかなければいけないかもしれないのだ。もちろん「良い」は人によって違っても良いだろう。
「デザインは、問題を解決すること」
これももはや怪しい。「問題を解決」したら又新しい問題が発生してしまう。だから「問題を再解釈したり、広げてみせること」ことしかできないし、それが有効だと考えている。
だから以前書いたように問題を含んでいるものが良いのではないかと思うのだ。
問題は必ずある。それを見付けることがデザインの第一歩だと思う。西村佳哲さんが言うように「何かを見て、体験してみたりして違和感を感じたらそれが何であるかを考えてみることができるひとがきっと消費者ではなく供給する立場の人なのだ」と。
僕は問題を見つけることができたらあとは何とかなるかと思っている。できあがったもので評価されるのはもちろんではあるけど、それはあくまでもその時点でフリーズした形であって、その後もどんどん自分の中で暖めて進化させていけばいいので、見つめている先の方を僕はより大切にしたい。
「作りたい」にはかならず動機がある。それは先ほどの「違和感」かもしれないし、「怒り」だったり、「悲しみ」「喜び」だったりすることだろう。だからそこを考えていくことから初めてみればいいかと思うのだ。「何で作りたいのか?」今この瞬間を生きている僕たちは確実に今の時代とシンクロしているので、それは信じて良いと思う。あなたの違和感はきっと誰かの違和感でもあるはずだと。
自分を信じてがんばっていきたいと言い聞かせているのは僕も同じだよ。
物を造ることはどんな良いものであってもゴミになり、生きている限りゴミを作り、ゴミを消費する。その中でできるだけ良いゴミを作ろうとすればそれはそれでよいと思っています。そこは開き直らないと何もできなくなっちゃうからね。
そんなわけで、悩んで悩んで明るく作っていきたいと思っています。

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