本当によい作品とは? 2005.04
楽しくなってきたね。
だれか他の人も参加してくれると良いな。
ちょいと富弘とはずれるから新しい話題として。
「本当によい作品とはなんなのか?(建築に関わらず)」
僕は誰かにこう聞かれるといつもこんな話をしています。
「みんなが良いよねっていう作品は実はそんなにおもしろくない。
その作品を見てある人は猛烈によいといいます。その人のプライドをかけてこの作品の良さを表現してくれます。またある人は猛烈にだめっていいます。これもその人のプライドをかけてね。
こうやって作品に人を動かすような問題を含んでいて、見た人がどきどきして、なにか言いたくなるような作品が「本当に良い作品」なんではないかなぁーと。」
だから富弘はまさしく「それ」だと思うよ。
だっておれも水石もどきどき、わくわく、うきょきょしたからね。
ただ、説明可能なことはおもしろくないことはない。また説明不可能ということもない。
言葉というメディアを通して表現(伝達)できる可能性がゼロなんてあり得ないからです。だから説明しようと努力すべきだし、言葉を探すべきだと僕は思っています。
「なんでこうしたの?」
「おもしろいから」
っていうのは逃げていると僕は思っているのです。
誤解を招いてでも説明しようとする方が素敵かなぁーとね。
あと、
「なんでこうしたの?」
「新しいから」(見たことないから)
もちょいと困るかもね。「新しいことは良いことだ」はまあ、半分信じるとしてもその新しさの向こうに作者は何を感じていたのか、何を見ていたのかを聞かせて欲しいのだ。その新しい世界の地平には何が広がっていると思ったのか?それは実現できたと今は感じているのか?
一番いやなのが
「話すと僕の作品が軽くなる。」
「説明することはかっこわるい」
といったりする人。
じゃあ、重くしようよ。作品のプラスにしていこうよ。
言葉というメディアと一生懸命向き合うことは決して損ではないと思うわけなのです。