BLOG ブログ

  1. トップ
  2. ブログ
  3. 感性と理性のバランス 野村仁展

感性と理性のバランス 野村仁展 2009.07

一覧へ戻る

先日、国立新美術館で開催されていた「野村仁 変化する相―時・場・身体」の展覧会に行ってきました。ほんと、良い展覧会だったのでお勧めしたいところですが残念ながら終わっています。
ここのサイトから動画で展覧会の解説が48分かけてみる事ができます。ただしノイズが多いので集中しないと聞きずらく、画像はとても荒いです。
僕は恥ずかしながら初めて知った方なのですが、いい意味でほんとぶっ飛んでいる作家さんでした。
単に感性に頼りながらぶっ飛んでいるのではなく、感性や直感で得たきっかけを冷静に記録し、科学的な見地から調べたりしながら理性的にそれらの記録を分析します。そしてまたその分析を強引なまでの力技で物や形に落としていくのです。
具体的な参考例として、
「月の動きをひたすら定点観測しつづけていたら、それがなにか音符のように見えてきたので、季節によって変わる月の動きを五線譜を引いて月を音符に置き換えて演奏ちゃった」
とか
「鶴が群れを見ていたら釈迦の手のように見えた(ごめんなさい、この辺曖昧です。誰か教えてください)ので、写真を取りまくり、群れの中の鶴の動きもまた楽譜に置き換えて演奏しちゃった」
という感じです。それがCDとして売り出されて商品となっており、しかも(ちょっとだけしか聞いていませんが)なかなか良い曲と感じました。
記録をしまくる事で、何が見えてくるかわからないけど、ただひたすらそれをやり続ける。
そこから何が見えるかは人それぞれなのだけど、細かな差異を見つけ出す才能があり分析力が素敵です。更には分析からの飛躍と、物を作るという事への執着心がほれぼれしまう。かっこわるいとかきれいだとかそういった基準なんて関係ないとばかりに美学さえも提案されている気がしました。
理性で突っ走ればソーラーカーを本気で突き詰め、アメリカ大陸を横断とかしちゃったりしますし、感性で突っ走れば宇宙との交信をするかのような作品やDNAと宇宙をまんまくっつけただけのような作品もあります。それらの様々に表現は変化している作品からは、住んでいる環境への畏敬の念や愛情を感じますし、なんだか人間的な魅力にあふれた人柄を感じざる得ませんでした。

物を作るときは理性だけではどうしても「もの」としての魅力的にかけてしまうと思います。やはり言葉にできない「何か」が「もの」に宿っている事は重要だと思うのです。更に理性を形に置き換える作業は大変なパワーも必要でして、「言葉」から「もの」というどっかで思い切った飛躍や勇気が必要です。
一方感性だけですと自分でも説明不可能になってしまうし、それは結局いろんな人に理解してもらうことを困難にさせている事も多いと思います。(僕の主観ですが)
この作家さんはそのバランスの良さを感じた展覧会でして、ぼくの建築もその感性と理性のバランスをうまくとれるようになりたいなぁーと思いました。
その他の作品もどれも突っ走っている作品が素敵でしたよ。

CATEGORY

YEAR