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パート3 2005.09

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では最後です。
地下展示室の最後は奈良さん(青森出身の現代美術作家)とのコミッションワークにより制作された大きな犬(青森犬?)が掘り下げられた外部(からぼり)に「どん」と設置されています。これは外部から見えるので、外観からこの建築の考え方を少しかいま見せてくれる場所でもあります。
2階には学芸員などのスタッフの部屋があります。モジュラーの照明器具が入っていたり、裏方の場所であろうと決して手抜きしてありません。ここでも間仕切りのスチールサッシに装飾が施されていたり、床が昔の小学校の床のような素材だったり、アンティーク調になっています。新品だけどアンティーク調なのです。フェイクであることは積極的に肯定されている感じですね。
レストランは展示面積に比べるととても小さく、こじんまりしたモノでした。ここにも余った空間ということをわざと主張するように、ガラスで囲まれた白い大きな基壇のようなお立ち台があったりします。もちろんなんとなくかっちょ良いのだけどしっくりこない。理解などする必要はないけど逆に理解させないぞっと言うパワーに負けそうです。というのはあまりにも展示室以外はいろいろな要素が詰まっているからです。
その他にはシアター、ワークショップルーム等いろいろな部屋が用意されていました。それぞれ素材は吟味されステキです。
外部は大きく掘られたような場所があり、発掘現場っぽい雰囲気を残したような庭がありました。
ここにもいろいろなモノはきっと展示できることでしょうから、ここも展示されるとすてきな場所となるのではないでしょうか?
とても楽しく、??な感じも受けつつ2時間半にわたるツアーは終わりました。所員の皆様引率係ご苦労さまでした。
最後に長い感想を。
ヘルツオーク&ド・ムロンがイギリスロンドンに大きな工場(発電所?)を改修して作ったテートモダンというテートギャラリーの現代美術を収蔵する無料の美術館があります。
あれに似ている印象を受けました。工場であるが故の異常に大きいスケール感や構造、今と昔の融合のようなリミックスした素材やデザイン、まさしく青森県立美術館に似ていると。
外観は素っ気ない工場のような表情であり、よく見ると素材感ある煉瓦が白く塗られています。まるで昔からある煉瓦をペンキを塗ってリニューアルしたような手つきです。
構造は部屋の構成とは関係ないような形で突然大きな鉄骨筋交いがあり、しかも装飾が施してあるし、窓はアーチ状になっている。昔に作られたものの歴史を残そうとわざと昔の建造物を保存してあるような雰囲気があるのです。
しかしこの美術館はすべて意図的に作った新築なのです。
このように色々な要素が盛りだくさんとなっており、一言で簡単に説明しにくいのです。
メインの地下展示室は比較的美術品の背景となるべくシンプルでかつ魅力的に仕上げられています。きっと美術品が入ればもっとよく見えてくる気がしました。ただ、それが他の階や外装などには地下の要素は引き継がれていません。それぞれが別個に存在して大きな建物になっている感じで、決して一つの全体の理論で統合されていません。塚本さんも大きな施設を作る時全体を統合する理論を嫌う感じを受けますが、(そのためか大きなコンペをとることができないのか?)個別の集合体があつまって全体となっていてもいいのではないかといわれてしまうとそんな気もします。
僕のように建築家がこの建築を説明してやろうとすると「するり」とすり抜けられてしまう感じがしたのです。
青木さんは言います。「最初のコンセプトスケッチはその時点でのイメージであって、実際の建築といかに同じであるかは重要ではない。」なるほど。5年という年月を考えると作りながら考えている時間のほうが長いわけで、変化してしまうのは当然かもしれません。現場で所員が青木さんのスケッチをイメージしつつ、又同時にコストや使い勝手など現実的問題をかかえつついろいろな要素があることをそのまま表現してしまい、決しって無理に統合しないのも決して悪くないかもしれません。この辺が妹島さんや伊東さんとは違いますね。
でも、同時に所員の迷いやデティールの荒さがそのまま表現されているのは単純に気持ちよくない気もします。モノとしてね。ミニマリズムの作家たちがモノへの愛情をきっちり作り込んで見せていくと気持ちよい感じが僕はするので。
ひねくれ続けることに意味はあるのか?その先の地平になにがあると考えているのか?
「単に今までにないもの」という否定の概念から作り上げたモノはよいものか?
そんなことを考えたりしました。でもこれは考え続けるに値することでしょう。
もちろん青木さんが今後どんなモノを作り出してくれるのか楽しみです。

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