エコは難しい 2008.01
エコロジーというのは地球に住む僕たちにとって考えざるえない問題です。
ただ物を作れば良い時代が終わっているのは間違いない事だと思います。
建築設計という仕事をしているとバキバキに壊していく現場を見る機会があるのですが、なんだか意味を考える暇もなく悲しい気分になってくるときもあります。特に店舗内装は顕著です。スキーウェアと同じで新しい内装でないとお客さんは新たに来てくれません。だからデパートは定期的にリニューアルをテナントに強制し、建築家、施工業者は定期的にお金をもらい、まだまだ使える内装を全部入れ替えて、リニューアル記念のバーゲンと広告宣伝費を掛け、再度お客さんを引き込む訳です。
マルクス主義ではないですが役所(デパート)が公共事業(リニューアル)を定期的にすることでお金はばらまかれ、そして使われる事で動きだし、経済は活性化していきます。僕は間違いなくそんな役割の一端を担っているわけです。
だから僕のやっている仕事はリサイクル、リユース(再使用)、リフューズ(拒否)なんて事は全くしない仕事の歯車といえなくもないわけです。
エコをしていてはお金は停滞し、儲からない、つまり生きていけないという事なのかも知れません。そうなるとエコを儲かる手段に考えていくしかないという訳で、今回の再生紙の問題もでてきているのでしょうか?
「ECO」は物を売るための宣伝でしかなく、各企業は社会貢献という名目のもとエコを宣伝し、エコを売りにして商品を売っていく。ちょっと穿った見方すぎるのですが、資本主義社会では当然の事でして、僕たち消費者は宣伝文句に翻弄され消費活動を増長されています。
だから「「ECO」は水戸黄門の印籠ではない!」ということを自分たち消費者は自分達の力で考えていく必要があると思うのです。「企業がエコというから買う」、「企業がこのマンションは構造的に大丈夫というから買う」ではだめな時代なのかもしれなくて、自分で調べ・自分で判断していく事が必要だと思います。ゴアさんの「不都合な真実」も盲目的に信じる訳でもなく、企業のパンフレットも全部信じる訳でもなく、ちょっとひねくれてみる事からちょっとずつ見ていきたいなぁーと。
そんなわけで、時々建築業界にとりまく「これって本当にエコ?」ってことから生半可な知識の中で連載していきたいナァーと思います。最初は「エコ」が商品名になっている「エコキュート」を疑ってみようかと。
ちなみに僕は
「なるべく時間をかけて本物の材料を使ってデザインする事で、長く愛してもらい、そしてメンテナンスしてもらいながら末永く使ってもらえるような物を目指して作る」
がエコということでお話させていただいています。